新分野への積極的なアプローチ〜
広瀬 一雄
広瀬銀器製作所」
台東区台東3−38−3
(03)-3831-3789
対顧客(消費者・問屋)関係について

・ ここにある香道具ですが、作りをはじめたのは15年ぐらい前からです。デパートで実演販売をしているとお客さんに「香道具を作れませんか」と話し掛けられました。

 その頃は香道の入門者に先生が道具を紹介するときに、真鍮やステンレスの道具を紹介していましたが、やはり良い道具じゃないとお弟子さんがいつかないようで、それで、銀で香道具を作れる職人を探していたようです。

 「ええ、作れますよ。」と答えましたが、いざとりかかると試行錯誤の連続でした。お香の先生と力を合わせて何度も作り直し、どうにか作れるようになりました。

・ また、つなぎ文字のアクセサリーですが、こういうものを作って欲しいという注文をしにお客さんが来ます。この間は、伝統工芸関連のホームページを見てシリコンバレーでIT産業に携わっている日系2世の男性が、婚約者に「身も心も」という文字に切ったペンダントを送りたいということで注文に来ました。

 お客さんといろいろ相談して行く中で、「身」は漢字よりも平仮名がいいということで決まりました。どうも欧米の人が、このつなぎ文字に期待しているのは、読むことはできなくても何か「精神的な強さ」を意味するメッセージがこめられていると感じたいからのようです。 そのうえ、デザイン的にシャープな線が重要だともいいます。そういうことは直接会っていろいろ聞いてみないとわからないものです。

・ 最近は日本に来ている外国人の英語の先生が、自分の名前を早く生徒に覚えてもらうためにペンダントを作りたいと注文に来ます。例えばジンジャーという先生が来て、相談して「神社」という文字でつくったり、「きんさんぎんさん」ブームのときは金といぶし銀を用い「きんぎん」という文字で作ったりしました。
台東区内の他の産業との集積効果について

・ 異業種交流は色々と勉強になることが多いと思います。香道具でも、香匙の柄の部分に黒檀を使うときは、自分では黒檀は使ったことがないので、知り合いの仏壇屋さんに頼んで加工してもらいました。
生産財(原料・工具)供給者との関係について

・ 香道具を作ろうというときも、黒檀を使う場合には知り合いの仏壇屋さんに加工してもらっていますが、仕上げは自分で削らないと銀の部分と合わないので工夫しています。羽箒の羽も、布団屋さんに羽毛を卸している問屋さんから水鳥の羽を買っています。
同業者との関係について

・ 自分はアイデアと技術のうち、アイデアを活かすため、自分で原型を試作し、その技術には自信があります。キャスト(鋳物)加工や放電加工、表面をダイヤモンドホイールで削る加工は最新技術をもっているところにお願いしています。
広瀬氏の特徴について
・ 広瀬氏のケースは、積極的に香道具やつなぎ文字アクセサリーなど、新分野に進出している。その点で特徴的なのは、常にユーザーとの情報交換を欠かさず、デザインの改良などにそれを活かしているという点である。特にファッション製品のカスタム化の流れがある昨今、早い時期からユーザーとのいわば「共同商品開発」を手がけていた点は氏の事業の優位性につながっていることが感じられた。

・ 広瀬氏はまた、伝統工芸の技能蓄積と、最新の加工技術の使い分けを実践しており、試作・デザイン・原型作成は自らが手作業で手がけ、量産化の段階に至ると外注してコスト削減を行っている。それによって製品生産の工程上で自らの生み出す付加価値を最大化することに集中し、それに成功している。

・ 香道具製造への進出過程で、従来の銀器加工のみならず黒檀や羽毛も手がけるようになったこと、またつなぎ文字アクセサリーの着想をカスタム化と適応させ注文生産のシステムを構築したことによって、広瀬氏は職人としての職能に加えてアセンブラーやデザイナー、小売の機能も兼ねるよう事業を革新した。その背景には、台東区に立地することによって「江戸の文化的遺産」を現代に通用するソフト的資産として利用する事が可能であるという点が重要であるように思われる。

生産のあらゆる分野を支える工具づくり
深沢 敏夫
深沢ヤスリ店」
台東区東上野6−27−8
(03)-3844-6608
対顧客(消費者・問屋)関係について

・ うちは単品生産、せいぜい数本の注文に応じることが殆どですから、たいていお客さん個人からの注文です。問屋からも注文がたまにあり、それには応じていますが、基本的にお客さん相手が多くなり、問屋相手の取引はもう殆どありません。

・ このあたりは御徒町にも近く、宝飾品の工芸が盛んですから自然と宝飾品関係のヤスリ作りが多くなります。大量生産品ではなく、特殊な用途に使用するもので、手でしか作れないものを注文生産しています。

・ 例えば、尺八作りの職人さんから注文があれば、何流かを聞きます。流派によって尺八の吹き口は変わってくるので、それに応じてヤスリも違わなければ吹き口を削るときに不便です。特に記録を保存しているわけではありませんが、長年ヤスリを作っていると、そういうことが自然と頭に溜まって行きます。

・ 職人さん以外にも、ある大学の芸術学部の先生がうちのヤスリを気に入ってくれて、生徒さんに紹介してくれたりします。そういう先生がたまに、自分たちが使う工具としてのヤスリ作りを知っておくことも大切だといって、生徒さんを見学に連れて来ることがあります。生徒さんは将来学校の先生になったりしますから、その時にあちこちで口コミで広めてくれるでしょう。
台東区内の他の産業との集積効果について

・ 台東・墨田・荒川あたりは、小さな工場でヤスリを使って物を作る職人さんがたくさんいて、そういうお客さんは多様な注文を出しますが、他のヤスリ屋ではできないので断ってしまう場合があります。それでうちへ回って来る。
 そういう仕事をしてきたから腕も自然と上がってきたということでは、集積効果はあると思います。
同業者との関係について

・ 同業者が大量生産に走りましたが、うちは注文生産にこだわりました。そのおかげで、うちにしか出来ないというヤスリがいろいろ出来るようになりました。注文生産なので、ヤスリ1本あたりの利益は高くなります。ですから丁寧な仕事も出来ます。
 大量生産だと、鏨1個でヤスリを100本以上も作ってしまいます。うちはヤスリ10本に目を打って鏨がなまれば、鏨を研ぎなおします。ですから目が深く打て、ヤスリも長持ちします。
 また、いろいろな注文に細かく迅速に対応しようとするのがうちの特徴です。ですからうちにしか出来ないヤスリというのが結構あります。
技術・技能の習得・伝承と後継者について

・ 残念ながら、一時は弟子を取ろうかとも思いましたが、今は一人前になるまでの間給料を払って養うことが出来ませんから、それは無理です。ヤスリ作りの技術は、言葉でも教われないし、記録も出来ない。だから後継者はいません。鏨を作れるようになるだけでも10年かかります。私は40年やっていますが、まだまだ試行錯誤が続きます。
・ ヤスリは、単純に言っても型14種類(平、丸、角など)、サイズが4種類、目の粗さが一番粗い「鬼目」から細かい「油目」まで4種類、これだけで224種類、それに用途でも細かく分かれますから、何千種類ということになり、これで終わりというところがありません。
伝統的工法の合理性について

・ 新しい技術の登場にも対応しているつもりです。例えば大手製鉄メーカーで作っている骨粗しょう症の老人用の人工関節を骨に取り付けるときに骨のほうを削るヤスリや、以前はオートバイメーカーからレース用オートバイに微妙なチューン・アップをするためのヤスリの注文が浜松から来たものです。
深沢氏の特徴について

・ 深沢氏は、ヤスリという最終消費財ではなく生産財を作っている立場にあるので、高度な技術を持つ顧客に対応するために、特殊用途に専門化したヤスリ造りを商品戦略に掲げている。その結果、一回の注文数は少ないが、他に比べようのない特殊性の高い製品を造るノウハウが蓄積され、同業者の真似の出来ない競争優位を実現している。その結果、製品そのものが大きい広告効果を持ち、有効なプロモーション・メディアとなりえている事実が見て取れた。

・ たとえば和楽器や美術工芸品加工用のヤスリは、おそらく何百年と変わらない形状で作られてきたしこれからも造られていくだろう。しかし最新技術革新に対応した医療用ヤスリなどでも、少量生産のシステムとしてはこれからも深沢氏の実行している「手作り」での製法に勝るシステムの登場は考えにくい。少量で特殊用途の製品を加工するための専門の製造機械を製造するよりは、人間の手が多様な製品製造に対応するスキルを獲得するほうが安価である構造は容易に変化しないだろうからである。

・ 本インタビューの結果として、競争力を持つ職人の特徴として、生産財としての工具の製造・修理・メインテナンスまで一手にこなせる自己完結性の高さが浮かび上がったように思われる。それでこそ逆に台東区のような多様な産業が存在する中での独自のポジションを獲得し、集積発展を支える要因の一つになっていると考えられよう。

原材料へのこだわりー川上流通市場への進出
木村 正
「江戸指物木村」
台東区下谷3−1−1
(03)-3874-7926
対顧客(消費者・問屋)関係について

・ 和家具の問屋が少なくなり、販路開拓のため組合でデパートなどを利用し、展示会を行うようになりました。組合の展示会では個々の職人の名前が出ますから、何回か展示会を行っていますと自然と馴染みのお客さんもでき、信用もついて、だんだんと注文がくるようになりました。私の作ったものを使っているお客さんは、まず私以外の人が作ったものは使わなくなります。それだけ自分に自信を持っています。
 私は歌舞伎役者の鏡台、作家の文机なども手掛けていますが、その記録は写真にとって残しています。
生産財(原料・工具)供給者との関係について

・ 原木は、なんと言っても伊豆諸島の御蔵島の桑材に勝る材料は他にありません。樹齢300年以上の桑が良いのですが、そういう桑はもうめったに出ません。
 三宅島の桑は御蔵島の桑と比べると艶がなく、粘りがないなど、同じ伊豆諸島の島でも島によって桑には差があります。自分は家業を継いだわけでなく親方から独立しましたので、全く手持ちの材料がないところから出発しました。せっかく注文を頂いても、材料がなく断ったりした悔しい思い出があります。ですから、今では御蔵島の桑を買っては、見て楽しんでいます。

・ 問屋さんについてですが、取引のあった深川の銘木問屋が店をたたんでしまいましたので、ここ10年ほどは自分で月1回、新木場の材木市に行って、自分で欲しい材木を見立てています。購入については、鑑札がありませんから直接売り買いは出来ません。ですから、知り合いの材木問屋に頼んで買ってもらっています。
 材木市に行ったりしていると、だんだんと目が肥えてきて、材木の良し悪しが分かるようになり、御蔵島でも知り合いを通して原木で買うようになりました。
 原木で買うのは材木屋を通さない分、まとめて買うと安くなるためです。しかしこれにはリスクも伴います。切って板材にすれば傷があるかもしれないし、乾燥の途中でひびが入るかもしれません。ですから、原木を見る目を養わなければなりません。また、桑というのは年月が経てばつやも出るし色も付きます。拭き漆といって顔料が入らない透明な漆を塗るだけでも、黄金色から良い色に変化します。木目も木の幹の部分や根の部分で色々と面白い紋様が出てきます。原木で買うと好きなように自分で製材できますから、想像するだけで楽しいものがあります。

・ 工具についてですが、のこぎりや大きな鉋は埼玉の彫刻刃物の会社で買いますが、曲面を削る刃先が曲線になった豆鉋などは、自分で自分に使い良いように作ります。自分が使う道具は自分で作る、それでこそ職人であると思います。原材料にもまたそれを加工する道具にも自分が関わることで、良い指物細工が出来るのだと思います。
技術・技能の習得・伝承と後継者について

・ 日暮里にいた親方のところで13年修業して、独立しました。指物には大きく分けて2つの流派がありますが、私は大正天皇・昭和天皇の即位のときに御料家具を指物で作った先代から数えて4代目にあたります。

・ 職人として一人前になるのは仕事の数をこなすことです。機械を使えば、器用な子なら6〜7年で一人前になるはずですが、そこまで長続きしません。長くて3年、早くて1年でいなくなってしまいます。ただ、就職専門誌に1回出ると30〜40名応募があるように、弟子入りの希望者はたくさんいます。
伝統的工法の合理性・身体的変化について

・ うちは機械で出来るところなら機械を最低・最小限入れています。昔ながらの伝統技法を駆使した、手でしか出来ないところは時間をかけ手作業で行います。
木村氏の特徴について
・ 木村氏の事業展開は、加工機械の利用できる工程には利用し、下加工で外注のほうが有利なときは外注するというスタイルをとっている。自分の持てる技術の強みを発揮できる部分を重点的に手作業で加工するという戦略は、極めて経済合理性に則っている。そのため特に「伝統」工芸というよりも、時代に適応した現在進行形の産業として成立しているように思われる。

・ 他の職人のインタビューともやはり共通しているが、産業が衰退して関連・支援産業、特に川上方面の原料の問屋・工具の製造業者が姿を消すと、職人が自分でその機能を代行できるようであれば、事業とし生き残って行くことが可能である。木村氏の場合は、特に工具の自作・メインテナンス、原料の桑材の原産地調達などが積極的に行われている。しかしながら、川下の対顧客・最終消費者方面への機能代行はもう少しのようである。

工房のアトリエ化と業界スポークマンとしての活動
長尾 直太郎
「(有)長尾東京広告企業」(木版画)
台東区元浅草3−20−3
(03)-3841-4758
木版印刷の多様性について

・版画は江戸時代の元禄文化が生んだ日本文化です。版画に色を付け印刷したのが錦絵ですが、浮世絵師は江戸時代、絵師として認められず、職人でした。例えば、歌麿ですが、歌麿は職人の親方で職人をたくさん使っていました。

・版画の彫り師、摺り師が江戸の中心から離れた浅草にたくさんいたのは、職人として位置付けられていたからだと思います。
 今では、東京で版画に携わっている彫り、摺りの職人は合わせて30人位になってしまいました。戦前までは、お菓子の掛紙から箸袋まで、何でも摺るなど仕事がたくさんありましたが、戦後の印刷技術の進歩で、仕事は急速に減ってしまいました。仕事がないので、職人に給料が払えない、だから後継者がいないという具合です。
 うちも以前は20人位、人を使っていたこともありました。後継者が少なくなる中で、幸いうちは息子たちが後を継いでいます。
 版画に興味を持つ人は多いようで、月謝を取って教えたこともありますが、ちょっと摺れるようになると辞めてしまいます。
 現在うちでは、版画の他に千社札や名刺等を摺っています。
技術習得のモチベーションについて

・自分は11歳の時から親の仕事を手伝っていましたが、父親は何も教えてくれませんでした。父親からは「版画を教えると自分より上手くなれないので、自分の悪いところだけ見るように」と言われました。仕事をしなくても父親からは叱られませんでしたが、お金は貰えませんでした。
 他のお弟子さんたちは、仕事をしているからお金があり、遊びに行く。自分は仕事をしていないのでお金がなく、遊びに行けない。こうなると、自分でも仕事をしなければならないと思うようになり、仕事に打ち込みました。
現代版画との交流について

・以前、現代版画で有名な池田満寿夫さんとお会いして、いろいろとお話しする機会がありました。話題は版画の話になり、池田さんが古本屋で浮世絵を見て、ああ日本にもこんなに良い版画があったのかとかねがね思っていたようで、それで池田さんが「長尾さん、昔の浮世絵師は凄いですね、蚊帳の網の目を縦横に綺麗に彫ってある、自分はこんなのは出来ません」と言われたので、「いや池田さん、昔の浮世絵師の考え方は合理的ですよ。蚊帳の網の目だって縦と横を別の板で彫ったんですよ。一つの板で綺麗に縦横彫るなんて難しい事をわざわざしませんよ」と言いました。
 池田さんはエッチングだから、木版を良く知らなかったようです。いずれにしてもいろいろな人と話すのは面白いですね。そういえば、先日も芸能人の方が見え、版画の摺りを体験して行きました。
店舗のアトリエ化について

・うちは、息子がそれぞれ彫りと摺りをやっているので、実演にはもってこいです。ですから、車庫を改装して実演や体験、販売ができるようにしました。この間も中学生が来て版画の摺りを体験して喜んで帰って行きました。体験の感想文を貰うとうれしいですね。
 また、うちは製造直販ですから、他よりは安いと思います。もともと版画というのは、江戸時代は庶民のものだったのですから、皆さんに喜んでもらえるような値段でと思っています。
長尾氏の特徴について

・長尾氏は、職人が製造直営小売店舗を兼ねる事により、流通マージンを下げることは勿論、職人ならではの工芸品に関する緻密な知識を直接消費者に届けることに成功している。それにより消費者は商品価値を高く評価することにつながり、購買意欲をかき立てられる。

・また、そのような効果のみならず、長尾氏は浅草の歴史や江戸文化に関する造詣が深く、そこに存在し、何かを話すだけでも江戸文化、浅草の賑わい、浮世絵の歴史などに関する圧倒的な知識量が、街のスポークスマンとしての機能を十二分に発揮している。

・木版画の摺り上がる過程も一般消費者にとっては非常に魅力的に演出されている。その点で、アトリエ店舗化の成功例と言えよう。作品の通し番号を利用した限定価値の演出など、マーケティング技術にも優れている。

他業種就業経験に基づく経営センス
黒川 利彦
(有)黒川和裁」
台東区駒形1−10−2
(03)-3844-9217
対顧客(消費者・問屋)関係について

・ うちはほぼ100%受注加工です。材料の反物と加工の寸法のデータが百貨店や呉服店から持ち込まれ、それに応じてきものを仕立てています。取引先は百貨店と呉服店で、長年安定した取引をしていますが、ミシン縫や人件費の安い海外仕立などで、仕事は減っています。また仕事があっても職人の技能が軽く見られているのか、仕立代の低廉化が進んでいます。もう10年もすれば、日本にはいろいろな注文に応じて良い仕立が出来る職人はいなくなってしまうのではないかと思います。

・ 仕事が減っているのは、日本人のきもの離れにあります。その原因の一つに百貨店や呉服店の店員さんが、和服に関する知識を失ってしまったことがあります。知識が不足していますので、消費者に和服の価値を説明できません。ですから、せっかく日本国内の仕立屋でしかできない細かい文化の様式に応じた加工などの価値が、消費者に認められないということになってしまいます。

・ 最近の消費者は、そもそもそういう決まりごとを知りませんから、海外仕立でも違和感を感じません。われわれが生き残るには、まずは消費者にきものの価値や文化を知ってもらうことが必要ですが、それを消費者に伝えるのは、なかなか個々の職人では難しいところです。
台東区内の他の産業との集積効果について

・ 私の知人の持論ですが、食文化も含めて江戸の文化というのはすべて関連があるのだといいます。私どもと伝統工芸などの職人・業者も潜在的顧客層を同じくするという点で、協力することができるのではないかと思います。
 例えば自分のような和裁をやっていれば着付の人、組紐の人、下駄屋さん、結納品屋さんなどと勉強会などを行い、コーディネーションで企画製品開発などを行ったら面白いのではないかと思います。本来それは、それぞれの職人と取引がある百貨店や呉服店を通じて行うべきだと思いますが、最近の百貨店や呉服店はそういうリスクを背負いません。
同業者との関係について

・ ミシン縫製も、最近はハイテク加工といったように時代に合ったネーミングでマーケティングを行っていますが、ミシン縫いは布地に針穴があいてしまい、洗い張りして仕立直しする際、針穴跡が目立ってしまいます。ただ、きものを洗い張りして仕立直しするほど何回も着るようなことが今は少なくなっています。
 和裁が外国での仕立やミシン縫製に対抗するには、高い人件費を吸収できるほどの特別な技術や注文で対応するしかないのですが、残念ながら、工賃的に対応出来るような仕立屋さんが減少しているのが事実です。
技術・技能の習得・伝承と後継者について

・ 特別な体型の人にフィットする仕立方や特殊な仕立方などを除けば、大体5〜6年で一通り仕立てられるようになります。うちでも下請をやってくれる人がここ15年くらいで10数人育ちました。
 ただ、どんな体型の人にも着易いように、着て楽なように仕立てるのは難しいことで、私もまだまだ勉強をしなければならないと思います。
伝統的工法の合理性について

・ 伝統や文化は、その意味が失われれば、言い換えれば「なぜそうするのか」が解らなければ、その時点で単なる型になって、いずれは損得に押されて消えてしまいます。
 工業製品なら作り手の「こだわり」は、機能に直結しますから失われることはありませんが、伝統工芸は「こだわり」の意味を消費者が理解できなければ、たちまち失われてしまいます。ですから、伝統工芸には、技術に加えてそれを説明する様々な文化的な意味付けが、同時に存在しなければなりません。
黒川氏の特徴について
・ 黒川氏は現在の和裁に従事する前、電気製品販売業に10年間ほど勤務されていたそうである。その経験の影響か、発言一言一言の裏に経済的合理性や市場メカニズムへの配慮があり、極めて現実の経済に対し無理のない意見を開陳された。

・ 職人が現在の産業構造で割を食っているという認識がおありのようだが、それへの解決策も結局は市場メカニズムに逆らわない、経済的合理性にマッチしたものでなければ長続きしないという見方をしている点で、しっかりした経営観を確立している。職人と最終消費者の認識ギャップに関して極めてシビアな観察をしていると言える。

伝統神仏具のアセンブリ基地としての台東区
種谷 吉次
「種谷製作所」(神仏具)
台東区東上野6−10−15
(03)-3844-6976
対顧客(消費者・問屋)関係について

・ うちは神社・寺院や町会の神輿、寺院の須弥壇などの受注生産をしており、建設会社や神仏具販売店、デパート、ホテルなどの下請としても長い取引関係があります。ですから、海外で作られた仏壇によくあるのですが、紙材に黒檀の木目をプリントしたものを使っていて、しかも原産国表示がないような粗悪品とは直接競合しているわけではありません。
 しかし業界団体の役職にもついていますし、年寄りでいろいろ意見を聞かれる機会が多くありますので、そのような時は、苦労している同業者を援護する意味で、いろいろそのような動きを批判することにしています。

・ 戦後は、まず戦災で亡くなった方の位牌や仏壇を作る需要があり、その後あちこちの神社の再建や、町会の神輿を作り、そして東京オリンピックの頃のホテルブームで各ホテルに結婚式場を誂えたりと、時代の流れに対応してきましたので、神仏具両方製作できる今があるのだと思います。
 また、神輿は50年ぐらい経つと修理が必要ですが、戦後の神輿ブームから数えてちょうど修理の時期に当たっていますので、注文は途切れずにあります。
台東区内の他の産業との集積効果について

・ 社寺建築は宮大工の一団で建築にあたります。その中に祀る神仏具を作るのがわれわれの職人の集団です。うちはもともとは木地師でしたが、塗師、錺職人、木彫、金箔、彩色、組紐、鍍金などの職人を束ねる役を担っていますので、宮大工で言う棟梁にあたります。「親方」と呼ばれますが、これは「社長」と呼ばれるより光栄な呼ばれ方だと思っています。
 また、昔はうちの工場の横に長屋があって、そこにいろいろな職人たちが住んでいたので非常に便利でした。今は交通は便利でも地価が高いため、少しでも広い仕事場を求めて塗師・彫師などの外注先が多数郊外へ移転していきました。
生産財(原料・工具)供給者との関係について

・ 工具については、機械も使うし手で使う道具もあり、作品に合わせ、自分たちでいろいろと調整したり研いだりするほか、作ることもあります。

・材料の各種木材は、いろいろとあちこちの問屋から工面をしていますが、近年は良い乾燥材が少なくなっています。材木は3年以上寝かせて乾燥させておかないと後で、反る、割れる、暴れるなどの恐れがあり、こうなると必ずクレームが来ます。しかしこれだけ土地が高いと材木問屋でも3年も寝かせおくことが出来ませんし、木材がどうしても高価になるので、外材に押されるようになってしまいます。
同業者との関係について

・ うちのように職人を束ねて神仏具両方を需要に合わせて作れるところは、東京で数軒、京都でも数軒ほどになってしまいました。組合があり、東京近郊で44人が入っていて、そのうち22,3人が台東区におり、毎月情報交換や研修会等を開いています。
技術・技能の習得・伝承と後継者について

・ 日本の神仏具の美意識、形式というか、道具やなにかのデザイン、比率などのノウハウを習得し、後世に伝える義務があると思っています。バブル景気のときは本当に人手不足でしたが、最近では職安や、就職専門誌を見て応募する人が出てきて良かったと思っています。
 うちの仕事は大きな神輿に担ぎ棒を噛ませたり、長尺の須弥壇を削り出したりするときは何より人手が必要ですから、人手が足りないときはあちこちに広告を出したりして困ったものでした。

・ ある程度、仕事を任せられるようになるには3年以上はかかります。その間は、息子か自分が指導しますが、指導している間は自分の仕事が出来ませんので、弟子が帰った後に仕事をすることになります。
 昔うちから独立した弟子が山梨に仕事場を作ったので、うちも山梨に仕事場を移そうと思ったが、職人に反対されました。今の若い弟子や職人は自分の暮らしの自由やプライバシーを守りたいというところがあるようで、どうも山梨に行くと寮での共同生活になるのだろうと思われたようです。台東区に職場があれば近くのアパートからも通えますし、都会の暮らしも出来ます。昔の職人長屋的な発想は通用しないようです。
種谷氏の特徴について

・ 主に神輿製作のお話を伺ったが、木地師、塗師、錺職人、木彫、金箔、彩色、組紐、鍍金などの各職人の技能を束ねるという意味で種谷氏は伝統工芸職人集積の要となる方だというような印象を持った。戦前にあったという神輿関係職人長屋は、言ってみれば今の工業団地のようなものだったろう。

・ 仏壇などは海外生産に押されていて、しかもその海外産は技術指導などによって着々と品質を向上させつつあるという。種谷氏の事業は、それとの価格競争を避け、むしろ神輿や特注神仏具という一品物、カスタマイゼーションのノウハウの塊のようなものを柱とすることで、他の業者の真似できない企業能力を構築しているという点で、大きな特徴を持っている。このことは、台東区の伝統工芸の生き残るひとつの道を示していると思われる。

履き心地を追求した完全受注生産
小澤 武彦
(株)小澤商店」(靴製造)
台東区鳥越2−7−15
(03)-3851-9690

対顧客(消費者・問屋)関係について

・木型は1,700あります。壁にかかっているのはその3分の1ぐらいで、ほかにも300人ほどのお客様に名前入りの木型を保管してもらっています。
 木型を作るにも性別、先の細太、甲の形、かかとの高さなど、いろいろ考えなければなりません。年をとると靭帯で支えていた骨のアーチが緩むので偏平足になります。痩せても太っても足の大きさは変わりますから、うちでは4キロの変化があれば木型を作り直すことにしています。

・一度木型を作りますと、遠くに転勤した人でもFAXでデザインや色の打ち合わせもできますし、郵便で革見本も送れます。ある会社の社長さんが来て、自分は昔航空兵だったがうちの靴は足にフィットして軽いので、空を飛んでいるようだと言ってくれたことがあります。
  また以前、朝のテレビ番組で取り上げられ、昼過ぎまで電話が鳴りっぱなしになったこともあります。

・ 乗馬靴でうちは宮内庁御用達です。もう戦後55年のつきあいです。乗馬靴というのはベルトもチャックもありませんから、スポッと履いてピタッとフィットしなければなりません。履くと空気が抜ける音がしないと良い乗馬靴とは言えません。宮内庁の人が騎馬の時に履く靴はみんなうちの靴で、年間数足づつ注文がきます。乗馬靴で拍車止めを手縫いでつけるのはうちだけです。
 馬術で障害をやるときにすごい前傾姿勢になるときがありますが、その時に靴が脱げたら騎手が落馬し頭を打って死ぬかもしれません。靴を作るにも責任があります。乗馬靴については、宮内庁の他に、いろいろな大学の馬術部の乗馬靴もうちで作っています。
 またスポーツマンでは、プロサッカー選手が外国で買った靴の幅を広げてあげたこともあります。
生産財(原料・工具)供給者との関係について

・ 乗馬靴を縫うときは、まず金属の針で穴を開けて、実際に糸を通すときは猪のたてがみの部分の毛をガイドに使います。これは毛根が残っていないと通りが悪いので、死んですぐに抜いたものでないといけませんが、抜くときに手を切るほどの剛毛です。ハンティングの友達に頼んで、猪を仕留めたときは呼んでくれと伝えてあります。

・ 麻糸には松脂を染み込ませてあって、穴を通すときの摩擦熱で溶けて周囲の革に染み込んで、接着剤のようになります。材料の革はもちろん超一流のものしか使いません。
同業者との関係について

・ うちのように木型から造る職人が数軒あるが、うちのように細かいところまで手縫いで仕上げるのはもう他にないのではないかと思います。
・ 地場産業としての製靴産業には頑張ってもらいたいが、今はお金があるとブランドものなどヨーロッパの靴を買ってしまう傾向にあります。アジアで造られた安い靴も大量に輸入され、このあたりの問屋もダメージを受けています。
技術・技能の習得・伝承と後継者について

・ うちの父親も台東区の優秀技能者として表彰を受けました。息子も後を継ぎます。息子は、高校を卒業して最初は靴と関係がない会社に勤めました。外に出て初めて家の仕事を見直すことができたようで、靴に対する考え方も変わり、会社を辞めました。それから、橋場の職業訓練校に通って授業を受け、そこで学んだ新しい靴の製法を活かした修理と靴作りを始めました。
 普通に修行すると6年はかかる技術の習得が、学校では1年で学ぶことができました。
伝統的工法の合理性について

・ 手縫いで良い所は、微調整が縫い方ひとつでできるということです。足は左右で形も大きさも異なります。お客さんにとって本当に履き心地の良い靴とは、やはり手縫いだと思います。
 また、接着剤でくっつけて、そのうえ手縫いで縫うから、丈夫なことこのうえありません。
小澤氏の特徴について

・ 「お客さんで、足が不自由な人とか、合う靴がないから今までパーティーに行けなかったのが行けるようになった。ぴったりした靴だからうれしくって雷門まで歩いたというような人がいるので嬉しい。もっとこういう困った人にうちの存在を伝えて欲しい。」という小澤氏の言葉だけで、カスタマイズの究極としてのハンドメイド企業は、十分に事業継続の可能な高付加価値を実現できている事が明らかである。

・ 靴製造という分類では地場産業に入る小澤氏だが、ここまで伝承している技術が希少なものであり、明治以来100年以上もの伝統もあるのならば、むしろ伝統工芸ではないかと思う。他の量産を前提にした靴屋さんとは、おそらく全く別のポジショニングであり性格が異なり、 高い技術を駆使できる職人は、不況下でも仕事が減るようなことはないようである。

・ 宮内庁御用達の名品を作る店を取材して本を出すという企画が、ある出版社で進められているという話を伺った。店は日本橋あたりにあっても、作っているのは台東区が多いということを聞くと、やはり宮内庁は台東区の地場産業にとって重要な顧客であろう。

伝統工芸分野における顧客満足の追求
田中 義弘
「(株)田中製簾所」
台東区千束1−18−6
(03)-3873-4653
台東区伝統工芸の生存の条件について

・ 台東区、特にうちの「ものづくり」が大田区や墨田区の「ものづくり」と異なるのは、取引関係です。大田区は企業と企業の取引、墨田区は企業から下請の職人へという企業と人との取引ですが、うちは人と人との取引です。
 うちが作って、そこに最終消費者であるお客さんが買いに来る。そのお客さんが、うちの品物を気に入ってくれたら、「あそこの簾は良い」と、周りに口コミで宣伝してくれます。つまり商品がそのまま広告になっています。
 お客さんは正直ですから、ちゃんとしたものでなければ「あそこの簾は良い」と言ってくれません。ですから、いい加減なものは作れません。「ものづくり」はいつも真剣勝負です。
問屋や取引先との関係について

・ うちの取引先は問屋ではなく、最終消費者であるお客さんです。
 問屋はお客さんから注文が1つ入ったら、1つ作ってくれって言ってくるだけで、お客さんのニーズを取りまとめて、どういう商品が欲しいのかを伝えてくれませんし、またこちらがどういう気持ちで商品を作っているか消費者に伝えていません。問屋がリスクを負わなくなりました。

・ 取引については、思いが通じる相手との取引を心掛けています。売り手と買い手が簾を通して、お互いに満足を共有できるのが一番良い関係だと思っています。うちは「信者」を作るということを心がけています。「信者」と書いて「儲」けるです。
 顧客の満足が最終的にはこちらの満足になります。ですから、よそで出来ないものもうちでやる、簾に関しては何でもやろう、材料手配も早く、仕事を丁寧に、寸法計りに来てくれってリクエストがあれば直ぐ行く、届けにも行く、そういう姿勢が必要です。

・ 簾屋は戦前までは、台東区にも10数軒ありましたが、今は2軒になってしまいました。生き残るには、原材料から最終工程まで全部自分でやっていないと生き残れません。分業していると、どこかだめになったら全部がだめになってしまいます。
伝統と伝承について

・ うちの考えでは、「伝承」は昔ながらの技能や技術をそのまま継承することで、「伝統」は昔ながらの技能や技術を時代に活かすことです。ですから「伝統」は洋風化にも適応します。その意味で伝統工芸は常に新しいと言えます。

・ 伝統工芸は、どんどん挑戦して行く必要があります。「古い人ほど新しもの好き」そういう意思を持っているか否かで大きな違いが出てきます。常に刺激を自分に与える必要があります。また、ある程度冷めた目で自分を見直すことも必要です。自分は何をしたいのか、常に問い正すようにしています。

・ うちも最近は通信販売とかインターネットとか、いろいろと考えていますが、後継者がいないで自分だけでやっているところは、時代に対して順応性が生れてきません。うちの場合は、息子が大学で研究者を目指していましたが、結局数年たって後を継ぐことになりました。小さい頃から仕事を見ていた息子の目から見ると、職人と学者との間に共通点があったようです。
商品開発について

・ お客さんからの要望とか、ニーズが商品開発のヒントとなります。お客さんのニーズとこちらの技能・技術の蓄積がマッチングして初めて新しいものが出来ます。
 例えば、簾を食器棚に敷いたり、箸を巻いて箸巻にしたりしますが、自分が職人だからこうするではなく、お客さんのニーズが職人にこうさせているのです。お客さんは最先端を行っていますから、それに対応していれば常に最先端にいることになります。
田中氏の特徴について

・田中氏の事業で興味深いのは、ごく自然に最終消費者とのコミュニケーションの実現が出来ているという点である。伝統工芸の型をある意味では「武器」としつつもそれにとらわれず、最終消費者のニーズに対して実に敏感に対応している。

・ 最終消費者への積極的接近のために、卸業者との取引を縮小するという決断は、非常な勇気を必要としたであろう。しかしそれでも田中氏にその道を歩ませたのは、細かな消費者ニーズの変化についていかなければ伝統工芸自体が沈没してしまうと言う危機感があった。

・田中氏が会長を務めている会は、カタログ作成、通信販売、インターネットの利用等、台東区の伝統工芸の販路開拓・拡大に積極的であるが、この点でも新たな伝統工芸への需要の掘り起こしへの熱心な取り組みが、この分野の事業の成否を握っていると言えよう。